手段を目的化し、価値を見出す

先日の日曜日、マツダのものづくりについての基調講演を聞きに行ってきました。

 

そこでの学びは

「あえて手段を目的化する」ということ。

 

マツダは「走るよろこび」を掲げており、

通勤のための手段だった車を、いかに車を乗りたいと思わせるかということを講演で言っておられました。

つまり、手段としてのツールをいかに目的化させるかということです。

 

近年、自動車産業は自動運転車の開発が進んでおり、今まで人が運転していた車をいかに機械に運転させるかという技術の開発をしています。

 

そうすることでのメリットは、人間が運転しなくなることにより、余暇ができること。通勤時間という手間がなくなり、時間の余裕ができるこだと僕は思います。(もちろん、他にもあると思います。)

 

この動きに対して、落合陽一さんは都心に住む人が減り、もっと地方に住む人が増えるのではないかと推測しておられます。

 

さて、このように自動車産業は自動運転車をいかに作るかということに注力しているのかと思いきや、マツダは人間が車を運転することを前提に作られています。

 

車の開発の方針としては人間を科学すること。人間の歩行を研究し、運転している時、乗車している時の人間の動きを極力歩行に合わせることを研究し、車を開発しているそうです。

 

他の自動車会社が機械性能をいかにあげるかということに注力している反面、マツダは人間の動きに、いかにして機械を合わせるかということを注力している点がとても面白いなと思いました。

 

そうすることで、他の自動車会社と差別化も図られて、価値を見出しています。

 

多くの自動車会社が手段の手間をなくすかということに注力しているところを、いかに手段を目的にするかという視点がとても面白いなと思いました。