欲求の変化
お金2.0という本を読んだ。
読んで学んだこと、感じたことを書いていく。
現在、以前と比べ物が豊かになり、生活に不自由がなくなりつつある。
昔はマイナスな部分が多く、それをどれだけ良くするかということに焦点が当てられることが多かった。
なので、消費動向としては役に立つものが買われる傾向が多かった。
しかし、現在は物が豊かであり、比較的プラスの状態である。そのような中で、役に立つという観点はなくなり、内面的な価値が重視されるようになった。例えば自分の感情が刺激されたり、興味、関心があるものである。
だから、クラウドファンディングという仕組みも成立するし、投げ銭と呼ばれる消費動向も増えていっているのではないかと思う。
また特に大きな流れとしては、就職する際に給与面だけで企業を決める学生が少なくなり、やりがいや社会的意義を見出す学生が増えてきていることである。
社会起業家が注目されるようになったのも最近のことである。
これらのことから、お金の価値が相対的に下がっているのではないかと思う。
だからこれからは単にお金を稼げる人ではなく、個人の意義や目的を多く与えられる人に価値が見出されるのではないかと思う。
ただ、この価値は見えづらい部分があるので、これらの価値を見える化する仕組みも重要であると考える。
手段を目的化し、価値を見出す
先日の日曜日、マツダのものづくりについての基調講演を聞きに行ってきました。
そこでの学びは
「あえて手段を目的化する」ということ。
マツダは「走るよろこび」を掲げており、
通勤のための手段だった車を、いかに車を乗りたいと思わせるかということを講演で言っておられました。
つまり、手段としてのツールをいかに目的化させるかということです。
近年、自動車産業は自動運転車の開発が進んでおり、今まで人が運転していた車をいかに機械に運転させるかという技術の開発をしています。
そうすることでのメリットは、人間が運転しなくなることにより、余暇ができること。通勤時間という手間がなくなり、時間の余裕ができるこだと僕は思います。(もちろん、他にもあると思います。)
この動きに対して、落合陽一さんは都心に住む人が減り、もっと地方に住む人が増えるのではないかと推測しておられます。
さて、このように自動車産業は自動運転車をいかに作るかということに注力しているのかと思いきや、マツダは人間が車を運転することを前提に作られています。
車の開発の方針としては人間を科学すること。人間の歩行を研究し、運転している時、乗車している時の人間の動きを極力歩行に合わせることを研究し、車を開発しているそうです。
他の自動車会社が機械性能をいかにあげるかということに注力している反面、マツダは人間の動きに、いかにして機械を合わせるかということを注力している点がとても面白いなと思いました。
そうすることで、他の自動車会社と差別化も図られて、価値を見出しています。
多くの自動車会社が手段の手間をなくすかということに注力しているところを、いかに手段を目的にするかという視点がとても面白いなと思いました。
働き方改革
さて、いよいよ明日から社会人。
実感があるようでないようなすごく不思議なかんじ。
そして明日から働き方改革関連法案が順次施行される。(2019年は主に大企業だけど。)
内容としては、①有給について、②時間外労働について、③非正規雇用労働者と正規雇用労働者との待遇の改善の主に3つ。
どんどん労働者の働き方が改善されているみたいで良いとも思うし、逆にもっと働きたいと思っている人たちにとってはあまり嬉しくない法案のようで、まぁ何か決め事を作るって本当に難しいんだなと思った。
そんなことはさておき、このように一般的に「働き方」が変わっていく中で、昔のように時間外労働がなくなっていった。
昔は働くことが当たり前だったみたいで、夜遅くまで働くことはざらにあった。
しかし、今は法が整備され、余暇がどんどん増えていっている。この余暇の使い方がとても重要だなと思った。
どれくらいこの余暇を大事にするか。
無駄な余暇をなくし、自分にとって意味のある、価値のある余暇を過ごしていきたいと思う。人生一度きりだし。
さぁ、明日から社会人がんばろか。
言葉
言葉って人によって意味の捉え方も違うし、ニュアンスも違うから分かりづらい時も多いけど、でも自分はやっぱり言葉が好きだし、勇気づけられる。
2019年3月19日に大学を無事卒業し、学生生活が終わった。もうすぐ社会人として働くわけだけど、あまり周りには見せてないけど、本当に不安なことばかり。
自分はやっていけるのか?
ちゃんと生きていけるのか?人間関係は?
自分を活かせる??
ここ1ヶ月、そんな多くの不安やネガティブな要素で心が満たされていた。
そして迎えた卒業式。卒業できたことへの支えられた人たちへの感謝の気持ちの反面、自分がずっと依存していた居場所がなくなるという悲しみ、将来の不安により一層拍車がかかった。
しかし、そんな心の闇を和らげてくれた、仲間や友達が自分に贈る数々の言葉。
自分はこんなにも多くの人に支えられているのかと。
辛くなったら頼ります。
逃げ出したくなったら向かいます。
そしていつか恩返しします。
本当にありがとう。
頑張ることと頑張ってしまうことの違い
人は「頑張ること」「努力すること」が美しいという風潮がある。日本では特にその風潮が強い。
だからみんな口を揃えて言う。
「努力しなさい」「もっと頑張りなさい」と。
確かに「頑張ること」は大事なことだと思う。
でも、頑張ること=無理している状態に陥っていることがしばしばあると思う。
だから人生楽しくなくなったり、頑張ることが嫌いになったりする。
頑張ること=辛いこと、苦しいこと
と世間では浸透しているような気がする。
それは何か違うなと思うし、そうなってはならないと思う。
だからゆとり世代は甘いんだと言われるかもしれないけど、、、
頑張ること=辛いことが浸透しているからこそ、仕事=辛いことというイメージが浸透しているような気がするし、練習=辛いこととみんながイメージしている気がする。
時には辛いこと、苦しいことも必要かもしれないけど、その状態が長く続くことは良くない。
だから最近は無理に頑張らなくても良いと思うようになってきた。
それよりも「頑張ってしまうこと」を探すことが重要だと最近は思う。
一見似ているような言葉で全然意味が違う。
「頑張る」は義務感や理性。
「頑張ってしまう」は自然であり、本能。
だから「頑張ってしまうこと」は無理をしてもそれほど苦しくはないし、そもそも頑張っている感は本人は自覚していないと思う。
世の中のすごい人たちは「頑張ってしまうこと」をやり続けた人たちが大半だと思う。
別にすごい人になりたいわけじゃないけど、人生を悔いなく過ごすために自分なりの「頑張ってしまうこと」を探してみたいと思った今日この頃であった。
待ち時間と人間の心理
私は今美容院にいる。
たまたま空き時間ができたのでその時間を使って、美容院に来た。
最初に入った時、かなり混み合っていたらしく「90分待ちです。」と言われた。
90分くらいならまぁまだ待てると思った僕は待つことにした。
それから約3時間が経過。まだ名前を呼ばれない。忘れられているのか。なんなんだ。
人は宣告された時間より待たされると不快になる。
一方で同じ待ち時間でも宣告された時間より待たなければ不快にならず、逆に満足度は上がるらしい。
僕の場合は言わずもがな前者なので、不快しかない。予約してない自分が悪いが宣告時間の2倍も待たされるとは。
悪い評価はなかなか覆らないが、良い評価は一瞬にして覆る。
社会に出てから改めて待たすということを気をつけようと思った1日であった。
多数優勢、少数劣等
久しぶりの投稿です。
今日テレビで化学物質過敏症という病気に関する番組がやっていました。
この病気は化学物質の匂いに過敏に反応し、体調不良を起こしてしまう病気です。
柔軟剤やインクなどの匂いで体調を崩してしまい、生活を困難にしてしまいます。ほとんどの人が化学物質の匂いがするものを身にまとっているため、人ととの関わりが次第になくなってしまいます。
この病気で小学校へ通えなくなってしまった子どももいました。
この病気は原因が分からず、対処療法もありません。そして全ての人が突然この病気を発症する可能性があります。
問題はこの病気で苦しんでいる人がいるにもかかわらず、環境省、厚生労働省は対策は他人任せになっている点です。
おそらくこの病気の発症者が多くなれば、対策も早急にとられると思います。しかし現在病気の発症者は多いとは言えません。
マジョリティーに対しての対策は進んでいるのに、マイノリティーに対する対策は進んでいない日本。多様性を掲げながら、このような現状は矛盾しているように感じます。
せめて、この病気に対する理解だけでも進んでくれればなと思った今日でした。