不得意だけど好きなこと

今、同じ大学のメンバーで自分と向き合うためのイベントを企画しています。その関連で、僕も自分について深く考えてるんですけど、幼少期の頃の記憶があまりないので、母親に自分が幼少期の頃について聞いてみました。

以下、送られてきたもののコピーです。

 

3年間幼稚園に通って、最初の頃はバスに乗るのが嫌で大変でした。徐々に慣れて友達もたくさん出来て、楽しく過ごすことが出来ました。剣とか作るのが苦手で、体を動かすことが好きでした。給食が大好きで、毎日今日の給食のことを聞いて来ました。

 

自分の小さい頃は本当に怖がり、寂しがりで幼稚園へ行くことが怖くて仕方なかったことをよく覚えています。不器用で絵を描くことや工作が全くできませんでした。

自分が驚いたのは"体を動かすことが好き"ということです。自分は小学校の頃まで運動が苦手で、かけっこや長距離走ではいつもビリでした。そんな自分が体を動かすことが好きだったのは本当に意外でした。

 

小学校2年生から大学まで野球を続けてきたからか人並みに運動はできるようになりました。なので、体を動かすことは今も好きです。

 

小さい頃は全く運動ができなかったにもかかわらず体を動かすことが好きだったことから、自分の本当に好きなことは体を動かすことなのかなと思うようになりました。

 

人は他人からの目を気にして、次第に自分の好きなものが好きじゃなくなっていく傾向にあると思います。好きだけど下手くそだと、周りの目を気にしてそれが嫌いになることもあると思います。

周りの目を気にしていない幼少期の好きなことに本当に自分が好きなこと・没頭できることのヒントがあるのかもしれません。

 

なのでもうすこし深く自分の幼少期のことを聞いてみたいと思います。

 

 

第3者一体経営

先週、もう廃業してしまうという匹見峡温泉に行ってきました。行った日が最終営業日だったんですが、建物もレトロで清潔感があり、いろいろな種類の温泉で、雪景色を見ながら入る露天風呂は最高でした…

露天風呂でお酒を飲みたかった笑

 

そしてその日は多くの入浴客で賑わっていました。小さな子どもからお年寄りまで。なかなかたくさんの世代が集まる場所はないので、温泉って本当に素晴らしい場所だと思います。

 

世間では多様性が求められているにもかかわらず、今の教育制度では閉鎖的な空間で、同じ世代の人たちの中で育ち、同じような教育を受け、標準化されてしまいます。そのような制度では全く多様性は生まれないと思います。

小さい頃から閉鎖的ではなく、もっと開放的な空間で生活すべきであると思います。

 

そういう意味で温泉は自然と多くの人たちが集まる空間です。そのような空間がなくなることはとても残念なことです。

 

そういう空間を残すために必要なことは、施設管理の当人だけでなく、第3者をいかに当事者意識を持たせるかだと思います。

顧客である第3者が継続させるためにどうすればいいか考え、動いてくれ、時にはお客としてお金を落としてくれる。顧客という第3者の存在を当事者にするということが1つの継続のために必要な要素であると思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

右脳はすごい

最近右脳を鍛えています。右脳を鍛えている理由としては、左脳ばかりを使いロジック思考になりつつあること。ロジックも大事ですが、なんかクリエイティブな発想がなかったりとか童心がなくなってきたのかなーと思ったからです。一説によると、最近の起業家はアーティスティックな人が多いみたいです。

 

右脳を鍛える方法としてはパズルをしたり、左手を多く使うようにしたり、絵を見たり絵を描いたり、音楽を聴いたりなど方法は多くあります。今重点的にやっているのがパズルと左手を使うことです。

 

思えば自分は昔から絵が絶望的に下手くそです。みんなが目を疑うほどだと思います。たぶん絵が下手くそなのは、イメージができないからだと思います。具体的なイメージが全くできないです。数学の図形問題とか立体図を書くことも苦手でした。

 

これらの理由から右脳を使うことを極端に避けていたのだと思います。よって今の自分が生まれています。

 

これからは右脳も使っていきたいです。

だから絵を描く人など一緒に右脳を鍛える人募集中です。

 

 

パンダを殴る国と殴らない国

今日、世界まる見えというテレビ番組を見ました。そこで世界の珍人物?としてパンダの格好をして世界を回りいろいろな人に殴ってもらうということをしている変な人が出てきました。

 

ここで面白かったのが

アメリカ人はそのパンダを殴り

ドイツ人はそのパンダを殴らない ということ。

 

なんでだろうと思い、自分なりに調べてみました。

ここで因果関係があるか分かりませんが、ドイツはストレスがない国ということが分かりました。世界のストレスのない都市ベスト5にドイツの都市が3つもありました。

ストレスがないと心の持ちようがある程度変わってくるのでしょうか?

 

次に日本人がストレスに感じることを調べてみました。

何個かランキングしらべてみたんですが、

どこも仕事関係ばかりがランキングに上がっていました。その理由としては男性と女性は少し理由が異なっていましたが、今回は男性についてのみご紹介します。

男性の特徴としては自律性がなく、仕事のおもしろさがないということが上がっていました。

日本では個人の権限や責任、仕事内容が明確に決められていないため、ひとりで自律的に仕事ができないためみたいです。ちなみに、ひとりで仕事ができるかという質問に関して、諸外国はどちらかと思うも含めてできると答えた人が8割を超えたのに対し、日本は2割台にとどまるという結果が出ています。

 

これから社会人になる自分にとってまた不安を煽られる情報でしたが、自分なりに今感じているストレスについて考え、今後に生かしていきたいです。

 

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunken/68/3/68_38/_pdf/-char/en

 

                                                      

 

 

 

地域産業

自分の地元は岩海苔が有名で、実家は岩海苔の担い手でもあります。テレビでも岩海苔関係で、よく実家が放映されています。

しかし岩海苔は他の農林産業と同じく後継者不足などで衰退の一途をたどっています。昔まではあまり深く考えていませんでしたが、最近そのことについてよく考えるようになり、どうやればこの産業を残すことができるのだろうか、どうすれば自分がやりがいを持って取り組めるだろうか、そのようなことを考えることが増えてきました。

自分の中ではいろいろな案が出てきました。その1つのステップとして交流人口を増やすことが重要であると考えました。一次産業は関係人口を増やすことがほとんどですが、まず交流人口を増やすことによって、その人たちに購入者になってもらったり、アンバサダーになってもらうことでよりよい産業になるのではないかと考えました。

そこで大学の県外の知り合いを地元に呼ぶことにしました。そして今日4人の方々が地元に訪れ実際に体験をしたり、見学をしてくれました。それぞれいろいろなことを感じてくれたと思いますが、まずは現状を知ってくれたことがとても嬉しいです。そしてアンバサダーになってくれたり、いろいろな課題解決の方法を考えて、アイデアを出してくれることを期待しています。

 

遠いところから来てくれて本当にありがとうございました。

自分自身、これを新たな1歩にしていきます。

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地方の情報格差と機会格差とテクノロジー

地方では情報格差や機会格差が存在すると言われています。実際にずっと地方で暮らしてきた自分もそれを感じることがあるし、多くの人が感じているとよく聞きます。

特に学生が感じている格差は就活に関することをよく耳にします。地方はそもそも就活に関する情報が少ないし、就活に関するイベントなどの機会も少ない。だから都会の学生より就活の意識が低いのだと。

たしかにそれらの事柄には何かしらの相関があると思います。しかし、情報格差や機会格差を理由にするのは少し違うなと最近思うようになりました。

 

今の世の中、就活に関する情報は自ら意識的に調べればいくらでも情報を得ることができるし、就活に関するイベントに参加したければ資金的に支援してくれたり、オンライン上で参加できたりもします。デバイスさえあればいくらでも格差を埋められるようになってきました。

 

だから、機会格差や情報格差は自分の意識次第である程度埋めることが可能です。

 

あとはその格差を埋めるためにどれだけデバイスを使いこなせるかだと思います。しかし、そのデバイスに関しての知識が乏しいのが現状です。

日本は現在のテクノロジーに関して知識が乏しい国です。そのため、上手くテクノロジーが活用できず、1900年代の終わりからの約20年間低成長が続きました。そんな日本の中でも特にテクノロジーが上手く活用できていないのが地方だと思います。地方の人々はテクノロジーに関しての知識が乏しいため、上手く活用できていない。そのことも情報格差や機会格差が生じていると自分は思います。

 

これからの時代、テクノロジーを活用していくことが必須になると思います。なのでテクノロジーの使い方や知識を増やしていくことが重要であると思います。

そうすればある程度、地方の機会格差や情報格差をうめられるなと思います。

 

このような偉そうなことを言っている私ですが、全然テクノロジーの知識もなければ使い方を分からないのでしっかりと勉強していきたいと思います…

 

 

 

情報の多様化による弊害

卒論が終わり、学内メールを見る頻度が少なくなりました。もう重要なメールは来ないだろうと。

そう思っていた矢先。マイスター制度に関する申請書の締め切りが過ぎていることに気づきました。期限が過ぎていましたが、地域連携課の許可をもらうことができ、一面をとりとめることはできましたが、、

本来はあってはならないことなので、本当にこれから気をつけようと思います。

 

さてこのようなことは現在、日常的にかなりの確率で起きていると思います。もちろん自身の不注意ということはありますが、情報の多様化がそうさせているのではないかと感じました。

 

最近はテレビ、新聞だけでなく、スマホを使いあらゆる情報を入手することができます。それも能動的ではなく、受動的に。待っていても情報が入ってきます。そのような現在で全員がどこか受け身的になっていると思います。そして情報量に大半の人が混乱しています。

 

では混乱しないためにはどうしたら良いか。自分なりに考えてみました。

1.圧倒的な自己分析

自己分析というと就活の時に行うというイメージがありますが、人生を通してしっかり行うべきだと僕は思います。自分はどのような価値観なのか、どのようになりたいか、そのために何が必要か、自分は何が得意か…などなど

あげればキリがありませんが、このようなことを徹底して行えば必然的に自分の目指す方向が見え、自分には何が必要かを理解することができると思います。そうすることで能動的な情報収集ができ、情報におどらされることがなくなるのではないかと思います。

 

2.アンテナをはる

いろいろなことに関して常に興味・関心を持つことがとても大切であると思います。メモの魔力という本に書かれていましたが、そのためにはメモを取ることを習慣づけることで自然とアンテナをはれるようになるみたいです。アンテナをはれるようになれば、いろいろな情報に触れることができるようになり、自然と正しい情報の取捨選択ができるようになると考えました。

 

以上が僕の考えです。情報の多様化と情報の希薄化は表裏一体のように感じます。地域の情報格差、機会格差と言われていますが、情報の多様化と同様、今の世の中、多くは自身の意識で解決できると思います。そのことについて次のブログで書きたいと思います。

 

皆さんはどう思いますか?